札幌で整理収納&終活アドバイザーとして活動している
島田美知子です。
私の母は、2016年に67歳で亡くなりました。
自分の親が亡くなるなんてもっと後のことだと思っていたし、母親がいなくなるなんて癌を患ってからも想像できませんでした。
私が下の子を出産した時、病院にお見舞いに来てくれた母は「私、乳ガンかもしれないわ。胸になんかある。近いうちに病院に行くから大丈夫よ。」と言って笑って帰って行きました。
何が大丈夫なんだか、ね。
その後、手術をして抗がん剤治療が始まっても、再発が見つかった後も、私は母が治ると思っていました。
なんとなく遠くない未来に死んでしまうのかもしれないと不安になってはいたものの、当たり前のように孫の成長を一緒に見守り、私たちの子育てが終わったら一緒に温泉に行ったりするもんだと。
私は2人姉妹の長女で、実家は岡山、私は北海道、妹は東京、子供たちもまだ小さくて、それぞれの生活がそれぞれの場所であり、治療の大変さを電話で聞きながら遠くから母を心配していることしかできませんでした。
癌発覚から3年半後、最終的な容態の悪化は急で、、、
家族に囲まれ最期の言葉を交わして息を引き取るなんて、ドラマの中の話。
ちゃんと、ありがとうも、さようならも言えませんでした。
母は”死ぬ準備”を何もしていませんでした。
癌と戦いながらも忙しく仕事をできていたので、こんなに早く自分が死ぬなんて思っていなかったのかもしれませんし、自分の病状の悪化と向き合うことができなかったかもしれません。
私も、母と母の死んだ後の話をしたことはありませんでした。笑いながらずっと「まだ死なないでしょ!もー、しっかりしてよ!」と励ましたつもりでいました。
だから、母がどうしたかったのか分からず仕舞いでした。最期、入院が決まった日「私、もう少し生きるわ」と泣いていた母の姿をよく思い出します。
次回から、「母の死後手続き」についてお話します。
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