79歳、一人暮らし高齢者の父、
5年前の母の死後、自分の殻に閉じこもってしまい、誰の話も聞かない、聞こえない、すぐに心のシャッターを下ろしてしまって先に進めないような時期がありました。
それは、まるで、しじみ貝のよう。
小さく丸く、しっかり心を閉じてしまった
たぶん、父本人は気づいていないと思いますが、
妻の死という、深い悲しみの中に落ちてしまって、もう回りから見れば痛々しかったです。
悲しみは他人のちからではどうしようもない、しばらくの間はしょうがないと思っていました。
5年という長い時間をかけて、2~3日に1回の電話、天気の話、日常の話、コロナの話なんかをしながら、
時には、ゴミでいっぱいになってしまった実家を片付ける、職場が変わる、家事代行を契約する、なんて環境の変化があって、
少しずつ少しずつ、父の心はほどけていっているのではないかと、私は感じていました。
前向きになってる!先に進もうとしてる!って。
が、
ここ数カ月、私は父の様子にちょっと不安を感じています。
この年末に父は職と車を手放しました。
これは、ある意味、父のプライド。
歳相応の判断で、どちらもいつかは手放さなくてはならないものではあったのですけどね。
職と車を手ばなしたら、年明けから、東京に住む妹の近くにある高齢者マンションと岡山の実家を行き来して、父の新しい生活が始まる予定でした。
が、このオミクロン株よ。
オミクロン株は、予想以上に父の自由と、これからの生活を奪いました。
職を手放して、人と話すことが激減してしまった。
車を手放して、自由に遠くまで動けなくなってしまった。
新生活は延期。
今までどおり、一人にしていて大丈夫だろうか?
今年の年賀状を出せなかったこと、最近またすぐにシャッターを下ろしがちなこと、
あぁ、ほどけかけて前に進もうとしていた父の心が、また閉じようとしているのでは。
私の頭の中にチラつくのは、あの時のシジミ貝の父。
職と車を手放したことで、父の心に大きな変化があったのは確かだと思います。
必死で前を向こうとしているのも伝わってきますが、
何か、あやうさを感じます。
今年のお正月、私たちは父に会いませんでした。
次は、春休みに父に会う予定を立てています。
早く会って顔を見なくちゃ。
遠いな~、ほんと遠い。
春になったら、自由に動けるようなるかな?
シジミ貝の心がほどけるかな?
【父の年賀状 過去記事】
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