私の父は昆虫がとても好きで、私が小さい頃は、セミやトンボをよく一緒に取りに行きました。って、どこかに行くほどでもなく田舎だったので、セミなんかそこら辺にいっぱいいて、虫カゴぎっちりに捕まえていました。
特に、父はギンヤンマ(トンボ)と蛍への思い入れが強く、父の幼少期の思い出や憧れをよく話してくれました。
これ、ギンヤンマです。
「トンボフィールド観察記」より画像をお借りしました。
我が家には、毎年、初夏になると父が「今日は、蛍を見に行くぞ」と言う日がありました。
当時は正直、ちょっと面倒くさかった。
夕方に家を出て、ちょっと遠くの蛍スポットまで行き、寝る時間までには帰ってくるの。
蚊にいっぱい刺されるし。父に付き合ってあげてる感じでした。
父は、野生の蛍が出現するスポットを知り合いからリサーチしていて、草が生い茂った小川みたいなところへ行くんです。
そして、じっと待つんです。
夕暮れ時、少しずつ陽が落ちてあたりが紺色になっていく中、ひとつ、ふたつと蛍が飛び始めて、それは、ま、それでね、とても綺麗でした。
見に行けば、それなりの満足感。
でも、何で毎年毎年、そんな昆虫数匹にこだわるのか、源氏蛍だ、平家蛍だ、と熱く語る父を子供心に「少年だな~」と思っていました。
場所や天気などの条件によっては、いつも蛍が見られるわけではなく、今回はハズレだったなーなんてこともあるのです。
そんな時は、なんでわざわざ来たのに~って、機嫌を損ねて、父に「いいかげんにしなさいっ」と怒られたこともありました。
でも一度、いつだったかすごく沢山の蛍が飛んで、それはそれは幻想的な日がありました。
何百なのかな、何千なのかな小さな光が下からあふれる風景。
父は、これを
私たちに見せたかったのかもしれない。
今、自分が親になってみて、もし自分の努力で、子供に野生の蛍を見せてあげることができるなら見せてあげたい、という気持ち、すごくよく分かります。
自分が子供の頃に見た、あの光の風景を子供の記憶にも残してあげることができたなら。
いや、今の私にはそんなことしてあげられるだろうか。
あの時の思い出があるから、私は、蛍がどんな場所に棲むのかを知っています。
あの時の風景を覚えているから、蛍の棲む清流を残したいという自然を大切にする気持ちが分かります。
父からもらった、父マインド。
いつ頃までだったのかな~、
私が小学校高学年になった頃にはいつの間にか、蛍を見に行かなくなってしまいました。
今度は、私が父を蛍を見せに連れて行ってあげられたらな、とも思うのですが、そんなタイミング良く、初夏の夕暮れに実家に帰ることはできないし。
父が東京に移住したら、ますます難しくなってしまう気がします。
初夏の夕暮れ時は、父と蛍を思い出します。
[母の最期の話]
[父がゴミ屋敷にしてしまった実家の話]
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